優しいという漢字

 

「『憂』はなんと読むか、知っていますか? この字は『うれい』と読むんだよ。じゃ、どういう意味か、知っていますか? 自分の心の中がつらくてしんどくて元気が出ないこと、悩んで苦しくて表情も暗くなってしまうことを言うんです。みなさんはそんな気持ちになったことはありませんか?」

 

と聞くと、子どもたち全員が、「ある!」と答えました。

 

「先生、私おとといの夜、お母さんとけんかして、ずっと泣いてん。これ、憂いの気持ちかな?」

 

「先生、ぼく、最近休み時間にドッジボールに誘ってもらえないねん。教室で一人残ることがあるねん」

 

「そう、それも憂いの気持ちや。憂いの気持ちってつらいよな。でもな、そんな憂いの気持ちのときにな・・・」

 

そう言って、黒板の「憂」の横に「イ」を書きました。

 

「そんな憂いの気持ちのときにな、横に人が来て、『おい、どうしたんや、いっしょに行こうや。一緒に遊ぼうや』って言われたらどんな気持ちや?」

 

「うん、そんなんしてくれたら、うれしいし、ホッとするわ」

 

「そうやろ、それを『優しい』っていうんや。本当の優しさっていうのはね、とってもしんどいときにこそ、寄り添って『一緒にがんばろう』っていう仲間のことを言うんだよ。そういう仲間、そういうクラスになるために、道徳や人権の勉強をしているんだよ」

 

隠見を学ぶことは、人と人とのつながりの温かさを感じること

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そこには、「笑顔」が生まれる

 

仲島正教 「教師力を磨く」より

 

2020年に道徳の授業が正式な「教科」になるのは賛成だ。しかし、そもそも道徳は授業で学ぶというより家庭や社会の中で自然に学べる、身につくものではないだろうか。

 

そのために我々一人ひとりができることは何なのか?  すべきことは何か?

 

憂うと共に悩んでいる人たちのそばにそっと寄り添いたいものである。