説明しなければならない人には説明してもわからない
そんな内容のことが村上春樹の1Q84に書かれてあるのを読み直して以来頭から離れない。
「話せばわかる」
五・一五事件の犬養毅の台詞が空を切ったように青年将校との間には大きな溝があった。或いは、もとより言葉も価値観も異なる世界観自体が違っていた。
そんな異なる世界観を持っている人には言葉で説明しても真の意味での理解や意識の共有は極めて困難と言わざるを得ない。
まさに、説明しなければならないということは説明してもわからない、ということになる。
それでも説明することを諦めていいということにはならない。
世界の異なる人同士も時間と手間をかけ続ければいつかその時は来る、少なくとも来るかもしれない。
その可能性を信じて、説明を続け、相手の立場を理解しようとし、過去と現在の差が埋まらなくとも未来を共有できれば、いつかはその日が来る。
そう信じて、
説明の価値を信じて、
対話を続けたい。
続けてもらいたい。