親しさの使い分け



北海道の民宿で出会った人たちとはすぐに仲良くなれた。


都会に戻ってきて、電車の中で会う人、道ですれ違う人たちとは同じようにはいかない。


かと言って、都会にいる人たちとも北海道の民宿で出会ったら恐らく話が違うことも簡単に想像がつく。


我々は時と場面に応じて親しさを無意識のうちに使い分けている。


当たり前と言えば当たり前の話。


しかし、改めて考えてみれば本当にそんな必要はあるのだろうかと疑問が湧く。


海外では知らない人同士が挨拶を交わすことは珍しくないとよく耳にする。(オーストラリア人の友人が日本に住んでいて寂しいと感じることの一つらしく、山登りに行くと日本でもハイカーたちがすれ違うざまに挨拶を交わすのでホッとすると言っていたことを思い出す。)


アメリカでは見知らぬ人に気さくに感じよく話し掛ける人たちのことを"beautiful people"ということがある。


本来親切で人のいい私たち日本人。


親しさを使い分けることなくいつも親しい気持ちでいればいいだけなのではないか。


それが和の心を拡げることに繋がり、


「観光立国」に押し上げる一つの大きな方法になり、


また、経済面だけでなく人と人とを結びつけることで日本全体を元気にする方法なのではないかとさえ思った。


それが日本のよさであり、日本人が世界に誇れることなのだから。