いい人をやめる

いい人をやめようと思う。



それが一番よい方法なのではないかと気づいたから。



「いい人」であろうとすること自体は悪いことではない。



「いい人」は誰にも迷惑をかけず、問題を起こすこともない。



言ってみれば「人畜無害」な存在。



害がないということは逆に何の益ももたらさないとも言える。



発散するエネルギーが弱いから。



元々エネルギーの弱い人間が自然に弱いエネルギーしか発さず、その結果として「いい人」でいるということであるならばそれはそれでいい。



しかし、「自分らしさ」を封印し、強いエネルギーを抑え込んで「いい人」を演じているのであるならば、そのことによって失われているものに目を瞑っていてはならない。



いい人をやめることが一番よい方法かもしれないということは、自分らしさを解放することでプラスの結果を得られることに気づいたから。



自分らしく生きることでエネルギーを世界に放出し、世界を変えられる貢献ができるのであれば、多少の摩擦があったとしてもその方がいい。それがいい人をやめることで成し得るのであれば、世界中の人に嫌われようが関係ない。



いい人を演じるということは、



自分らしさを捨てて、他の誰かになろうとしていることに他ならない。



いい人をやめて、自分に還る時が来た。