「主体性」という言葉は元々日本語にはなかったのではないか。
それほどこの言葉を聞いてもピンと来ない人が多い。
もちろん意味はわかる。
しかし、頭で意味は理解できたとしても実感が伴わないことが多いのが現実。
一番の理由は、恐らくこの国が「相対性」を長い歴史の中で培い、発展させてきたから。
一個人としての個性や主体性を発揮させるよりも組織や全体の最適化を優先させ、そのために相対性を意識させることに注力してきたから。
常に誰かと比べ、互いの関係性の中に自分の位置や役割を見出し、正しい振る舞いの選択を重要視してきた。(江戸時代の身分制や五人組がその代表)
そのことに価値を置いてきた。
それをアインシュタインの相対性理論になぞらえて「もう一つの相対性理論」と呼びたい。
しかし、変わりつつある時代の中で、
その「もう一つの相対性理論」も新しい仮説に揺らぎ始めている。