目応え



「手応え(てごたえ)がある」という表現がある。


同じように「目応え(めごたえ)」という言葉があってもいい。


ふとそんな風に感じた。


理由はシンプル。


挨拶する時、聞く時、話す時に目を見ずにそうする機会が多くなってきたように感じるから。


お店やレストランの接客は言うに及ばず、職場や友人関係、場合によっては家族でもその傾向が出てきたような気がする。


社会全体で「目応え」を感じる機会が減っているのは気のせいだろうか。


原因は一つではないだろうし、個人的な問題かもしれないけれど、急速に進んでいるネット社会に一因があるような気がしてならない。


ネットやデバイスの発達によって早く、便利になっただけでなくSNSの普及でコミュニケーションもより簡単になった。


しかし、コミュニケーションの質は「広く、浅く」なり、希薄になっている感は否めない。多くの人が満足を感じるコミュニケーションは深くであり、現在のツールでは逆効果になっている部分があるということなのかもしれない。


あくまで便利なツールが急速に普及する際に伴う一時的なマイナス現象、更なるICTの進化に繋がると信じて改めて陳腐な問題提起と一つのきっかけとなるかもしれない「目応え」について指摘したいと思った。