「生きるってのはね」
「・・・・・・・」
「きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ」
命の湧きたつ音がした。
・・・・・・ああ、そうか。
僕は気づいて、鳥肌が立った。
彼女の存在そのものと言える言葉が、視線や声、彼女の意思の熱、命の振動となって、僕の魂を揺らした気がした。
「誰かを認める、誰かを好きになる、誰かを嫌いになる、誰かと一緒にいて楽しい、誰かと一緒にいたら鬱陶しい、誰かと手を繋ぐ、誰かとハグをする、誰かとすれ違う。それが生きる。自分たった一人じゃ、自分がいるって分からない。誰かを好きなのに誰かを嫌いな私、誰かと一緒にいて 楽しいのに誰かと一緒にいて鬱陶しいと思う私、そういう人と私の関係が、他の人じゃない、私が生きてるってことだと思う。私の心があるのは、皆がいるから、私の体があるのは、皆が触ってくれるから。そうして形成された私は、今、生きてる。まだ、ここに生きてる。だから人が生きてることには意味があるんだよ。自分で選んで、君も私も、今ここで生きてるみたいに」
我々は皆、生まれた時から死という出口があるのを知っている。
誰もがその出口に到達することを知っている。
にもかかわらず、あたかも永遠に生きられるかのように生きている。ただただ漫然と。ボーッと。
生きるってのはこうだってことを命は有限であり、しかも短いことを知っている高校生から教えてもらった。
感動した。涙が止まらなかった。