期待の残滓

 

いつの頃からか「期待はしない」と決めていた。

 

誰も期待できないという哀しい意味というよりも処世術の一つというべきか。

 

誰かに期待しても、それは満たされても期待通りだし、期待が外れるとマイナスでしかなく、精神の無駄遣いだとわかったから。

 

期待される側もプレッシャーにしかならないし、0かマイナスという不毛なゲームは誰にとっても無用な長物。

 

それでも時に期待の残滓のようなものが浮かんでは消え、消えては浮かぶこともある。

 

コロナ禍のワクチン開発のニュース然り、株価の意外な高騰然り、苦しいビジネス環境における新商品の開発然り。

 

人は時に夢を見なければ生きていけない生き物なのかもしれない。

 

期待の残滓を眺めながらそんなことを思った・・・