先日の日経新聞に東大教授であり、テレビ東京のワールドビジネスサテライトのコメンテーターもされている伊藤元重氏の論文が掲載されていた。
このブログでも幾度となく触れてきた逼迫する日本の財政問題、国家破綻の可能性とその対応策についてだった。
議論は大きく分けて3つ。
国家破綻を回避するためにするべきことは大筋では議論はまとまってきている。社会保障費を中心とした歳出を抑え、国債という借金を返し、税収増につながる経済の立て直しのための成長戦略を作る、に尽きるということ。
2つ目は、にもかかわらず、政治が本気で改革に取り組まないのはこの瞬間に誰も大きな痛みを感じていないから。
3つ目は、直接的な痛みと言える「国債価格の暴落」というシナリオが最も確実な改革のきっかけになるのではないかということ。つまり、創造的破壊に向かうしかないのではないかという懸念だ。
読んでいて非常にわかりやすく、かつ人間の本質を捉えた大人の議論だと感じた。国債価格の暴落は大きな痛みであることは間違いない。そのまま国家破綻に転げ落ちていっても不思議ではないほどの衝撃。
にもかかわらず、論文に悲壮感が漂うことなく、どこかでそれを期待しているようなトーンさえ感じられた。(あくまで私の個人的感想)
論文の最後は、国家破綻の引き金になりえる国債の暴落を起こさないための緊急対策が必要だ、と締めくくられてはいたものの、再び首相退陣論が浮上する中でこの国の行き先は全く見えない。
我々日本人は、いや、人間は行くべきところまで行かなければわからないものなのだろうか。
過去や自らの経験から学ぶことさえ、難しいことなのであろうか。
破壊も創造を前提にしたものであれば肯定されるのであろうか。
疑問ばかりが降り積もっていく。