ドラスティックな改革

 
 
 
以前のブログでは平時における「上手な変化の起こし方」について考えた。
 
 
 
「平時における」は文字通り緊急時ではない時。まだ余力のある時、自ら変える力が残っている時の変革の方法について。
 
 
 
逆に「ドラスティックな改革」の必要がない状態だとも言える。そこまで切迫していない時。
 
 
 
或いは、実際には確実に破綻が見えているにも拘らず目を瞑っているだけの場合もあるかもしれない。
 
 
 
日本国債の暴落に伴う財政破綻が来たら、否が応にもドラスティックな改革をせざるを得ない。国家公務員だけではなく、地方公務員の大幅削減、年金のカット、公共料金の大幅値上げ、公共サービスのストップ、場合によっては預金封鎖や破壊的なハイパーインフレを伴う可能性すらある。
 
 
 
経済が破壊され、人々の日々の生活もままならなくなる。壊滅状態になった日本経済は世界へも波及し、世界的大恐慌に陥る可能性も否定できない。
 
 
 

「ドラスティックな改革」をせざるを得ないところまで堕ちることなく、自らを律せるようになりたい。

 

 

始めるのはまず自分からだ。