質問がないということ

「質問はありませんか?」



と聞かれて実際に質問する日本人はそう多くない。



自ら考えることを放棄しているのか。



否、



放棄するというのは自主的な行為であるのに対し、このケースではただ単に質問が出てこない、考える癖がついていない、というのが現実であろう。特定の物事について自分がどのように感じるのか、自分の哲学からどう判断するのか、ということができない人があまりにも多い。物事に対して受身でいるということは人生において起こることに受身的な対応しかできないということ。



「疑問」がなければ「答え」は存在しない。



「答え」があれば「学び」が成立する。



「学び」があれば知的好奇心が掻き立てられ、更なる「疑問」が生じる。



「解答」を見つけるべく頭をフル回転させる。



そこから生れるものを考えるだけで・・・



わくわくしてこないだろうか。



質問がないということは、



何も始まらない、



ということに他ならない。