制約の中にある答え

我々はさまざまな「制約」の中で暮らしている。



身近なところでは職場や家庭の役割から発生する時間的、金銭面的な制約。地域社会のルール(町内のルールや市や都道府県の条例など)や国家のルール(憲法、民法、刑法)、自分という存在自体も制約と言える。男性、女性、年齢、体型、体調、性格、例を挙げるときりがないほど我々は制約だらけの生活を送っている。



だからこそ、制約があることが当たり前、それが全ての前提であることを常に覚えておきたい。



にも拘らず、我々はそのことをすっかり忘れてつい口にする。



「○○だから難しい。○○さえなければいいのに。」



ついそんな風に考えてしまう。



しかし、思考がその方向に流れる時は、往々にして問題と真剣に組めていない時、問題との真剣勝負を避けようとしている時。



なぜなら、制約は我々に与えられたゲームのルールだから。その中で答えを見つけることにこそ意義があるから。



それをばねにして創意工夫を凝らし、生産性を上げ、結果を出していくことが大事なのだ。



それを繰り返していくことで場合によっては制約から解放されることがある。



それでもまた、新たな制約が舞い降りてくる。



その繰り返しこそが学びであり、成長であり、人生であるのだから。



「尽きせぬ自由は、がんじがらめの不自由さの中にある」



長渕剛の名曲 "Stay Dream" を思い出した。