答えを持つ

 

自ら尋ねた問いには自らの答えを持ちたい。

 

コロナは我々に何を伝えようとしているのか。

 

我々は何を学ぼうとしているのか。

 

一昨日のブログでそう書いた。

 

仮の答えであっても自分自身で考え、自分なりの答とうと思って少し時間を割いてみたい。

 

自分の答えは・・・

 

コロナは、資本主義で爆進してきた人類に警笛を鳴らしているのではないか。

警笛ならまだいい。

地球という生命体が我々人類の存在を排除しようとしているのかもしれない。

 

ならば我々は何を目指して生きていけばよいか。

 

持続可能な成長を希求し続けて良いのか。

 

成長を諦めるのではなく、地球環境に負荷をかけずに進化、成長していく方法を模索していく。

 

移動を減らし、費用をかけず、多少の不便は受け入れて尚且つ進化していく社会を考える。

 

それは経済を縮小させるかもしれないけれど、そもそも経済的成功が地球の再生能力を超えつつあることへのアレルギー反応であれば、前提そのものを変えなければならない。

 

必ずしも毎日出勤しなくていい。

 

必ずしも1日8時間働かなくてもいい。

 

そんな働き方がもっと当たり前になっていい。

 

もっと言えば、

 

生きていくために賃金を稼がずともミニマムウェイジが保証されていれば、ヒトはもっと自分らしい、自分がハッピーになる、それでいて社会も回る、

 

そんな新しい社会が生まれるのかもしれない。

 

生み出せばいい。

 

そのきっかけとすればいい。

 

我々一人ひとりが身の回りから変えていく。

 

変わっていく。

 

今働いている会社にはそんな仕組みはない

何をしたらいいかわからない

ずっと一人でいるのは耐えられない

北欧のミニマムウェイジの実験は何処にでも当て嵌まる話ではない

共産主義はあり得ない・・・

 

反対意見は山ほどありそうだ。

 

ポスト資本主義の議論は百家争鳴であり、誰も正解なんて知らない。

 

それならば、

 

一人ひとりが生きることについて深く考え、

 

自分自身の人生を見つめ、

 

自らの存在について考える。

 

そこから始めたらいいのではないか。

 

「我思うゆえに我あり」

 

1600年代に書かれたカントの「方法序説」を読みながらそんなことを考えた。

 

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

  • 作者:デカルト
  • 発売日: 1997/07/16
  • メディア: 文庫
 

 

それを今の自分の答えとしたい。