自分という映画

 

「自分という映画を観てみませんか」

 

そう話してくれたのは、ある僧侶だ。

 

座禅体験の若い僧侶の言葉が印象的だった。

 

足の組み方から心の置き方まで座禅の基本作法を教えてくれる。

 

五分、十五分と少しずつ時間を伸ばし、自分の体が感じること、思考の巡りを実体験した。

 

僧侶が続ける。

 

「座禅とか、瞑想と言うと、難しく感じられるかもしれませんが、自分の内側を見つめ、感じることであり、自分との対話に他なりません。普段スポーツ観戦や映画をご覧になられる方も多いと思いますが、ある意味、座禅は、自分という映画を観るのに似ているかもしれません。」

 

頭の中を様々な思いがぐるぐる回る。

 

お昼に何を食べるか、夜は何時に帰れるか、そんな世俗的な欲求、思いが心を支配する。

 

世俗的な思いを断ち切るために、

 

敢えてお願いをして、僧侶にバチで打ってもらう。

 

手を合わせ、頭を下げ、座禅の格好のまま前傾し、その時を待つ。

 

すると、

 

完璧な静寂を破るようにバチが振り下ろされる。

 

右肩左肩二回ずつ当たるバチは不思議なほど痛くない。

 

むしろ明日への糧となった気がした。