懐に飛び込む

 

今どきでクールな働き方や人間関係を考えると、ドライで一定の距離感を保つのが望ましいのは言うまでもない。

 

それでも敢えて「懐に飛び込む」というウェットで無謀な行動を取り上げるのは時代への反抗心なのか、それとも一段深い思慮のなせる技なのか。

 

答えは両方。

 

何事も行き過ぎたら揺り戻しがあるのは歴史が証明している。

 

左に行き過ぎたら右に戻るし、上に行けば行くほど下への圧力は高まり、谷底は深くなる。

 

クールでドライな働き方や人間関係が当たり前になればなるほど、熱くてウェットなものが求められるようになる。

 

誰かの懐に飛び込むことで得られる温もりや近さから学べること、会得できることは間違いなく多い。

 

ネットやAIから得られる言語的で表面的なものとは異なる肌感のある、実感を伴う、生きた知恵のようなもの。

 

真の暗黙知を得るためにも誰かの懐に飛び込もう。