一昨日、昨日のブログで「しなければならない症候群」について考えた。
その最後に「変換力を高めたい」と締め括った。
変換力とは文字通り変換する力。
ありのままを受け入れ、それを消化する力を高めることで進化するも真。
されど、時にありのままをそのまま受け入れられない時がある。
人によって、価値観の違いによって、経験値の多寡によって、飲み込み、消化できるモノとそうでないモノがあるのも事実。
そういう時は、言葉を変え、言い方を変え、伝える量を変え、相手がわかるように、消化できるように、動きたくなるように変換すればいい。
した方がいい。
その変換力の高さが人を動かす力になる。
参考)
もう一つの変換力について
変換力を鍛える
http://norio373.hatenablog.com/entry/2018/06/13/193608
感嘆の声も噂話も誹謗中傷も全て自らの力に換える。
耳に入ってくるいかなる声も目に飛び込んでくるどんな光景もそれ自体には何の意味もない。
単なる記号に過ぎない。
意味づけをするのはあくまで自分だ。
頭の中には自らプログラムし、繰り返し刷り込んで強化した変換システムがある。
そのシステムをポジティブに作動させるのも自分、反対に動かすのも自分。
周りから聞こえてくる賞賛も罵声も羨む声も憐れみも不用意な発言も所詮は外部入力に過ぎない。
その情報をどう翻訳するのか、変換するのかは自分次第なのだ。
頭の中で、
心の中で、
自由自在に変換すればいい。
その変換力を鍛える。