2014年もあと残すところ1日となった。
今年の月一企画も今日が最後。
毎月月末日に書いてきたけれど、12月は年一企画を優先するので今日が月一企画の最終回となる。
その一冊に選んだのがこれ。
これまで選んできたものをもう一度見直し、その流れを考えた時、最初の1冊(「不識塾が選んだ「資本主義以後」を生きるための教科書」)の最後に書かれていた一節を思い出した。
改めて調べ直してみる。一部抜粋したい。
底流にあるものが違えば、言語の仲介になしに相互理解することはとうてい困難だが、本人が自覚的に意識していないものはそもそも言語化さえできないわけでから、宗教や神話、哲学、歴史など思考のフレームとなる知識を得ることが、異文化理解のみならず、自分自身を知るためにも、きわめて重要ではないだろうか。(P236)
引き続き、こう語られている。
そのような観点に立つとき、日本人は他国の歴史や美術を理解することには積極だが、しばしば指摘されるように自分たちの宗教や歴史、文化に対してあまりにももう地、無関心であることを痛感する。
今さら、私が指摘するまでもないが、「戦前の教育が軍事主義を助長し、戦争へと突き進んだ」という認識のもと、戦後教育では日本古来の神道や日本の歴史書である「古事記」、「日本書記」についてその内容を取り扱うことが禁止されてしまった。私自身これまで、神話や宗教は”避けるべき話題”だと思い込んできたが、これらが国家や民族の歴史や文化を伝えるストーリーであり、民族のつながり、子孫の繁栄と同時に、争い、裏切り、嫉妬といったどうしようもない人間の業が描かれているのだと思うと、他国からとやかく言われたり、忌避するようなみのではないと思えるようになった。
当の一冊は長編小説の形を取り、シリーズ全7巻の最初の物語。
それ故、ここでは改めてその内容に触れることはしないが、上記で抜粋したように大事なのはなぜ建国について学ぶべきなのか、学びたいのかという理由を意識すること。
理想は、この一冊「日本建国」の後、「民族の雄飛」「悠久の大和」「日出ずる国」「水漬くかばね」、「壬申の乱」「わが国家成る」と読み通してから「古事記」「日本書紀」に挑戦すべきだけれど、限られた時間の中でついつい下記にも手を出してみた。
現在から未来にかけ激動の時代を生きている我々が仮に経済や社会のことを一通り学んだとしても、表面上の現象をなぞる程度に終わってしまう。
まだ拾い読み程度にしかすぎないけれど、日本のこと、日本人のこと、この国がどう生まれ、今日の基礎が築かれたかを学ぶことで少しは深みが増すような気がする。
今年一年、それまでなんとなく感じてきた違和感や頼りなさ感の正体が少しわかったような気がする。
それを克服するきっかけとして「不識塾の課題図書(と関連本)」を使って追求しようと試みた。
当初の望みの3割程度しか読めなかったこと、考察の対象が限られたこと、その深さがほとんど出せなかったこと・・・不満ばかりが残っているのが正直な感想ではあるけれど、他方でその深淵を覗き込むことができたという満足感も確かにある。
これからも学び続けていきたい。
不識塾 課題図書 -不識塾が選んだ「資本主義以後」を生きるための教養書-
不識塾 課題図書 -日本人としてこれだけは知っておきたいこと-
不識塾 課題図書 ー「ワンピース世代」の反乱、「ガンダム世代」の憂鬱